〈聖書からのお話し〉
牧師 屼ノ下照光
 
   あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。
   月も、星も、あなたが配置なさったもの。
   そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなの
   でしょう。
   人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。

                        (詩編8編4~5節)

                いのち

 松阪ルーテル教会では、毎月第二土曜日午後1時から、「詩画と聖書に親しむ会」を開催しています。これは、星野富弘さんの『詩画集』から、毎回1編をとりあげて、それについての感想を述べ合ったり、また、それに関連する聖書からの御言葉を聞く会です。毎回10人くらいの方々が出席して、楽しい時を過ごしています。関心ある方は、お気軽にご出席ください。10月は、12日(土)午後1時~3時です。 星野富弘さんは1970年に、中学校の教諭をしておられた時、クラブ活動の指導中に頸椎損傷という大けがをされ、首から下の運動機能を失ってしまいました。入院中に、口に筆をくわえて、文や絵を描き始められました。1974年には、キリスト教の洗礼を受けられ、以後、花の絵などに詩を添えた詩画集を多く発表してこられました。星野さんは、『いのちより大切なもの』という詩画集の中で、次のように語っておられます。

 けがをして、もう一生首から下を動かすことはできないのだとわかってきた時に、「俺はもう生きている価値がない」と思いました。
 夜は、「次の朝には死んでいたらいいのに」と思いながら寝るのですが、いつもどおりの朝が来て、看護師さんが脈や血圧を測ると正常値なのです。食事を抜けば死ねるかと思って幾日か抜いてみたのですが、腹が減って減って‥‥次の食事を腹いっぱい食べてしまいました、あの時のご飯、うまかったなあ。
 その時、「いのちというものは、俺とは別にあるんだ。俺がいくら生きることをあきららめても、いのちは一生懸命生きようとしているのだ」と思いました。私の努力でいのちがあるのではなく、「いのちが一生懸命生かしてくれている」と気づいたのです。
 「自分は今、やさしくて大きなものに生かされているんだ、死にたいなんて、いのちに申し訳ない」、そう思いました。

 このように語る星野さんは、次のようにうたっておられます。

      私がどんなに絶望しようが、
      どんなに生きたくないと思おうが
      いのちっていうものが一生懸命
      生きようとしているんです。

 人生のたいへん厳しい場面において、星野さんは、「自分は今、やさしくて大きなものに生かされているんだ」といういのちの恵みへと導かれました。

 「初めに、神は天地を創造された」(創世記1章1節)と語り出している神の言葉である聖書は、この世界とすべてのいのちを創造し、保ってくださっている神がおられることを語っています。そして、詩編8編の詩人は、いのちを与えてくださった神さまが、私たち人間に、そして、私という一人の人間に、御心を留め、深く顧みてくださっているという不思議さと感動をうたっています。

 この夏、私は、お二人のお葬式をさせていただきました。また、孫が誕生して、その小さないのちをこの腕に抱きました。私は、神さまに導かれ、召されたいのちと、神さまから授かったいのちのことを深く考えさせられました。そして、どちらも、等しく、主なる神さまの大きな愛と恵みの内に包み込まれているということに、深い感動と感謝をおぼえました。
 私もまた、私自身の小さないのちと人生が、神さまの御手の中にあるという不思議さを感じながら、いにしえの詩人と共に、「あなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう/人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは」と、神さまを賛美したいと思います。

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